愛が感じられないのは自分が愛していないから

岸 博幸が「コンテンツへの愛が感じられない経産省」で通産省を批判している。
http://it.nikkei.co.jp/internet/column/mediabiz.aspx?n=MMIT12000023022009


ここでの批判は己の姿勢の裏返しである。

 第一に、コンテンツ産業を製造業などと同列視している。しかし、クリエイティブな産業は、業界構造やマネジメントなど多くの面で一般産業とは異なるのである。非効率やビジネス的な緩さが素晴らしい作品を生み出す原動力の一つでもある。それなのに、製造業などの常識からコンテンツ産業のこれまでのやり方をばっさりと全面否定するのはいかがなものだろうか。
 第二に、コンテンツビジネスの実態に対する理解の欠如を感じる。著作権は、弱い立場の制作側が所得を得るための唯一の拠りどころなのに、それに代わるスキームを示すことなく“権利取られるとガチャガチャ文句言う”と発言するのは、制作側に対する無理解以外の何物でもない。
 第三に、コンテンツ業界に関係する者として耐え難いほどの“上から目線”である。コンテンツや制作現場に対する愛が微塵も感じられない。制作の現場が努力してないと本当に思っているのだろうか。誰もリスクを取っていないと本当に思っているのだろうか。勘違いも甚だしい。


岸 博幸のこの批判は、2月2日の慶応大学でのシンポジウムの通産省の課長の以下の一連の発言に対してのことらしい。

 「コンテンツ産業が儲かりたいから政府も支援しろと言うだけでは、その辺の兄ちゃんが“ボクは大事だから支援してよ”と言うのと同じ。制作の現場が本気で海外で成功しよう、成長しようと思っているのか極めて疑問。“今のビジネスが今の規模できっちり守られればいい。色々言われるけど何が悪いんだ”というのがコンテンツ制作で力を持つ人の本音ではないか」
 「ソフトパワーを支えるクリエイティブの現場は、どこもみんな下請け。資金調達も販促活動も自分でやらずに発注だけ待ち、当たるかどうかのリスクは取る。これは普通のビジネスセンスで言えば、“研究開発はやります。でも事業化に向けた販促活動はしません。資金集めもしません。でもボクに開発費はください。なんで君たちはそんなに冷たいんですか”と研究開発部門が言っているのと全く同じ。ビジネスリスクを取って努力するということをしていない」
 「“コンテンツ流通くそくらえ”と思っている。勝手に投資してチャンネルをたくさん作って、コンテンツが足りないから流通促進しろと言う人がいるが、流通で恒常的に過剰投資が起きているだけ。カネが余っているなら制作側に投資しろと言いたい。しかし、逆に言えば、制作側は投資を集める努力をしてきたか。資金調達はしない、販促活動はしない、当たる当たらないのリスクは取るけれど、そこまで全部おんぶに抱っこの状態なのに権利取られるとかガチャガチャ文句言って、どっちもどっち」

さて、メーカー(通産省)が何故腹を立てて、ここまでコンテンツビジネスをこき下ろしているのであろうか。
それは、コンテンツ業界がメーカーのビジネススキームを批判したからである。具体的には、
「メーカーの利益の一部分は権利者に還元されるべき」というコンテンツ業界の主張だ。
この主張はメーカーの逆鱗に触れたのだ(推定)。
メーカーへの愛があれば、このような主張はできない筈だ。
メーカーが研究開発や販促活動などにどれだけ多くのリスクを取っているのか理解しているのだろうか?


「第二に、コンテンツビジネスの実態に対する理解の欠如を感じる。」は、そのまんま、
コンテンツ業界のメーカービジネスの実態に対する理解の欠如であるし、
「第三に、コンテンツ業界に関係する者として耐え難いほどの“上から目線”である。」にいたっては、
上から目線うんぬんは「お前が言うな」である。
少なくとも岸 博幸は「コンテンツが王様で、流通は女王である」という、超上から目線発言を是認しているじゃあーりませんか。
http://it.nikkei.co.jp/internet/news/index.aspx?n=MMIT12000026112007


岸博幸が感じられないのは「コンテンツへの愛」では無い。「コンテンツ業界への愛」だ。
そしてそれは、コンテンツ業界がコンテンツへの愛を持っていないからに他ならない。

追記。
通産省の課長のコメント
コンテンツ産業と製造業の違い 〜岸さんのご指摘について:村上敬亮 情報産業の未来図 - CNET Japan